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fam.提案)メディアアートという選択
メディアアートって知ってる?この言葉自体まだ発展途上だから、明確な定義はできないんだけど、要するにテクノロジーとアートが融合したようなもんかな。パソコンの普及と超高性能化、インターネットやFlashなどによる新たなコミュニケーションの可能性、21世紀に入った今、プロ並みの音楽だろうが長編映画だろうがやる気と才能があれば誰でも作れる。しかも、テクノロジーの進歩は今まで分類分けされていたさまざまな芸術の枠さえも取っ払ってくれる。ケータイやインターネットをはじめとする人と人とのコミュニケーション手段も劇的に変化して、アートにも双方向性(インタラクティブ)が現実化して「観賞する」アートはもう古典的手法なのかもしれない。新しいアートは「体験する」ものになっていくみたいだ。

と長々と書いてみたけど、俺はずっと気になってたんだ。なんでSDの事務室の前にメディアアートのチラシがいつも置いてあるのか。ひょっとして、テクノロジーとアートの融合っていうのは、メディアアートがひとつの答えなんじゃないかって。

メディアアートにちゃんとした定義はない。というか、できてもすぐに壊れていっちゃう。時代の変化に言葉の定義は追いつかないみたい。だから、俺らが俺らなりにメディアアートを定義することも可能だってこと。

SDの事務室前にもおいてあるくらいなんだから、メディアアートはSDの方向性のひとつなんだと思う。「イベントのプロデュース」っていうのは、結局のところ事務作業で、きっとみんなすごいかっこいいもんだと思ってたと思うけど、なんだかんだでほとんどプロデュース的な話は片付きつつあるわけです。結局のところ俺らの存在意義って?

じゃあ、メディアアートをやるのはどうだろう。っていっても、急にわけのわからないことをやるんじゃない。今までアイデアを出してきたのを、メディアアートと名前を呼びかえるだけにすぎない。
たとえば、白い服に映像を流すって言うアイデア。あれもプロジェクタ・コンピューター・映像を駆使したれっきとしたメディアアートになりうる。
QRコード(2次元バーコード)をモザイク状にならべた写真とか絵のアイデアも、メディアアートと言えるんじゃないの?
ユーザー参加型のWebサイトをつくるのも、メディアアートって呼べる。
VJも、映像をその場でMixさせるという意味では、過去に存在しない新たなメディアアートだといえる。

文化祭の時にやってた、言葉と映像のコミュニケーション。あれも人と人の間に映像というフィルタをかけるだけで、いやに新鮮なものになった。

結局のところ呼び名が変わるだけだけど、俺らの役割はイベントのプロデュースだけじゃなく、メディアアートの実践によるインスタレーション(演出)っていう大きな二つの柱になる。これだけでデザインサークルの存在意義は大きくなるんじゃない?

工学的な道具とアイデアを使って、イベントを演出する。これが俺らの今回の最大の課題じゃないかと思う。

もう時間がないです。俺らの立場って、かなり重要です。楽しいだけじゃなくなるけど、頑張りましょう。
by subrow3260 | 2005-01-12 08:00
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